「ひと、ヒト、人、ひとり というグループ展」出展のお知らせ

nasuohshima

【会期】
<グループ展>
「ひと、ヒト、人、ひとり というグループ展」
part1 6月8日(月)‐6月13日(土)に出品致します。

※展覧会自体は、part2 6月15日(月)‐6月20日(土)まで続きますが、僕の作品はpart1までの展示です。

【会場】
Gallery K
〒104-0031
東京都中央区京橋3-9-7京橋ポイントビル4F
Tel/Fax.03-3563-4578
e-mail : galleryk@nifty.com
http://homepage3.nifty.com/galleryk/
地下鉄「銀座」駅から徒歩6分
地下鉄「京橋」駅から徒歩2分

映画「アマデウス」、印象に残っているシーンがある。確かモーツァルトが「魔笛」の作曲中、彼に曲を依頼した劇団を夜中に訪ねたシーンだ。ピアノに向かう彼の背中では、骸骨が、眼を剥き出しにして笑う、劇団員の手の中で、これまたからからと笑っている。まるでそら今に追いつくぞ、と彼を追い立てるように。死に追い立てられ、死に追いつかれないために、モーツァルトはあの気違いじみた「魔笛」の序曲を演奏する。笑いながら。汗を流しながら。

死に追い立てられた時、僕らは一体どんな顔をするのだろうか。笑い、祈り、諦め、対峙、あるいは同化。死と同化した人間は、自身の墓場を求めて突き進む。そこが死人の居場所であるのだから。現在の日本は、後世に「死に追い立てられた時代」として記憶されるだろう。死と同化してしまえば最後、政治も、生命も、死人のように笑い、自身の墓場へ突き進むのだ。笑いなさい。死神の鎌で、身体をくすぐられているかのように。

このシリーズに着手して間もない頃、僕は夢の中で声を聞いた。

「俺の墓は何処だ」

はじめ僕はその声を、記憶されずに死んでいった人間たちの、記憶という墓標を求めて彷徨う声だと考えていた。それは間違いだったのかもしれない。あの声は、死に追い立てられ、死と同化し、墓場を求めて彷徨う僕自身の声だったのかもしれない。

6月8日より始まる、「ひと、ヒト、人、ひとり というグループ展」へのお誘いに、僕はすぐさま飛びつきました。まるで死に追い立てられているかのような今の日本で、「人」は一体どんな姿を帯びるのか。ゴヤの「サトゥルヌス」や、インドの仏教彫刻の姿勢や手の意味に、人間の在り方の象徴としての「立ち姿」というものを感じ、僕自身もそれを制作しようと考えていた矢先のお誘いであったためです。今回出品致します「誘惑、死に追い立てられる男」という作品は、文字通り死に追い立てられる人間の絵です。見る人が、僕と同じように、自身を含めた社会や世界が、死に追い立てられていると感じるのならば、描かれた男の「立ち姿」に、何かを見て取って頂けるかもしれない。そうであればと考えています。

死に追い立てられた時、僕らは一体どんな顔をするのだろうか。お忙しいところとは思いますが、何卒よろしくお願い致します。