セッションNo.013 中庭の女王は独り…

◯「セッションNo.013 中庭の女王は独り…」F15 2018
中庭の女王は独り
自分にしか分からない言葉でしゃべる
自由な鳥が一羽 やって来て言う
「こんにちは」
彼女は何も見やしない

◯言語の主人とはいかなる者か。語の意味するものを、その用法を決定する者のことか。そんな者が果たして存在するのだろうか。
◯「やらない」は「やる」であり、「記憶にない」が「言うつもりはない」を意味するような言語の使用に於いて、彼は自分が言語の主人であると思っている。言語というゲームのルールの、半ば禁じ手のような利用の仕方であるが、ルールに則っていれば、どんな手を使ってでもその局面的なコミュニケーションに勝利することが肝要である、もともと語の意味なんてものはその場その場のコンテクスト、関係性の中でその都度都度決定されていくものなのだから、という考え方が根底にあるのだろう。彼は局面的には勝利するだろうが、長期的にはどうなるだろう。恐らく、コミュニケーションを失う。そして人を失う。これが為政者の場合、それだけでは済まない。
◯要するに、言語がその度々の文脈の中で決定される「効果」の媒体でしかないとして、それを逆手にとったような使用法でゲームに勝利したとしても、それはやはり「効果」の面で後に破局をもたらすだろうし、そんなものが「賢い」はずがない。なぜなら、結局言語の主人が使う人それぞれであるなんてことはあり得ないからだ。書かれた言葉とて改変され隠蔽されるような、どうやら言葉そのもの(意味するものではなく)の価値があまりにも落ちているような今、言葉への強烈な不信は至極最もであり、実際その人の発する言葉を文字通りとってはいけないような、言っていることとやっていることとの乖離が強烈であるような人間を前にして、言葉は立ち竦んでしまうのだろうか。
◯さて、この絵の女王はまだそんな破局の前にいると信じたい。なぜなら、はじめこの絵には挨拶を送る自由な鳥がいなかったからだ。

◯セッションを行った女性(ちなみに王冠の人物を女王と見たのも彼女、つまり女性であるという点も興味深い)は結局女王は耳を貸さない、それが彼女と、鳥の身体がはっきりと描かれていない理由だと言っていたが、お話の続きはまた他の人の中で始まるだろう。

05/08/2017

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