WORKS

2020

April

2019

2018

004fullhp

comming soon…

2017

ahammer

『untitled』
以前の制作は、自然からフォルムを引き出すことを目的としていたが、目下の制作、特にデッサンは、より人間性とでも呼ぶしかないものを念頭に置いている。つまり人間に何ができるのか、何をなしうるかというある種のアイロニー、ユーモア、自虐そして肯定である。白紙に向かうデッサンこそ、正にこの目的に適うものだろうと考えはじめている。
ここで言うデッサン(粗描)とは何か。白紙という前言語的な認識、あるいは無分別智に敢えて切り込み、痕跡を残すこととしよう。デッサンは、去っていった根本の認識である亡きものの面影をなぞる行為であり、原初の記号の発明でもある。紙面に刻まれた線は、去っていったかの存在との直接的な触れ合いがもはや不可能であることの表明であると同時に、そこへ還るためのほそ道でもあるという両義性を持つ。なぜなら、デッサンは対象を示すためにそれをなぞるが、出来上がった線の塊は対象そのものではない。それどころか、対象に再び到達しようという試みの挫折を露呈する。言語(詩)の場合と同じである。「花」という語は花ではなく、恐らく発話者の失くした前言語的な花の認識の抜け殻、なぞった輪郭だろう。「花」という語が花であるならば、花の何と単一で無味乾燥なことか。
しかし、こうした我々の試みが挫折に終わるという事実こそが去っていったものの実在を証明するのである。
デッサンも同じことだ。刻線は挫折の表明であり、不能者の試みは何時だって無(余白)に帰す。しかしながら我々は挫折を以てして再び還るのである。このほそ道を人間性と呼びたい。
(2017/12/28 執筆『近作について』より抜粋)

2016

ahammer

『a hammer』
図示、謎めいたノート、暗号、思考の痕跡……、あるいは思考のデザイン。言葉を膨らませる制作を幾つか経た後に、言葉を顚倒させる制作へ移行しました。さて、この絵は題名の通り一本の金槌の絵であって、一本の金槌の絵ではありません。皆さんはこれを何の絵と見ますか?この問いに対する回答を導き出す思考のプロセス、それをデザインすることを目論んだ作品です。
(2016/11/28)

2015

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『DIVINE, DIVISION, RELIGION, RE-VISION 一神教 』 1880×970mm
この年に制作したほとんどの作品を、「確信の凝固展」と銘打った個展に出品することができました。多くの作品が人ひとりを丁度すっぽりと収めるサイズのものです。作品一枚一枚が、ある意味“1人の人間”であることを目指した為です。画面を分割する縦の線を挟んだ、様態の異なる二種類の金の絵具。これは絵画に関する様々な思考を図示することを意図したものです。以降の制作はこうした図示、謎めいたノートのような、“思考する絵画”を目指すことになります。

2014

1

『墓標self-portrait』
用いる絵具を限定した一連の作品はこの絵から始まります。此方へ突き刺さる赤、彼方へ遠ざかる青、静止する緑、身体の輝きとしての黄色(黄金)、この4色に概念の色としての黒と白を足した6色。一先ずこうした意味づけをして以降の制作を続けることになります。
指の浸かる暗闇の先で、此方を振り向く人影は、これから制作を続けようという自分の姿のようにも思えて、当時付けたタイトルが『墓標』です。

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