詩的言語と詩的な線

     詩的言語とは、端的に言って、日常的言語の顛倒を基本とする言語である。例えば、詩人が「雪の始まりと終わり」と発する時、この表現は、それが日常的言語として機能する際には意味するであろう、単なる気象現象一般のみに志向しない。ある人にとっては、「閉塞と解放」であったり、「沈思と行動」であったり、もっと個人的な記憶に結びついた何かであったりするだろう。詩的言語は、我々の日常的言語が、漠とした了解によって保つ語とその意味するものの結びつきを断ち切る、もっと言えば作り直してしまう。この意味で顛倒である。

     同様の現象が絵画においても起きているかもしれない。大胆に言ってしまえば、「詩的線とは、端的に言って、日常的線の顛倒を基本とする線である」となるだろうか。日常的線なるものを日常的言語と同じように理解することはできないが、要するにただの線でしかないような線と考えたい。単なる線の塊が、突如「絵」となる瞬間がある。もちろん線はただ線であるだけで造形要素として美しく、変質など全く意に介さないという立場もあるだろうが、何というかこの議論は、眼に見えているもの中に、眼には見えない何かが確かにいる、とどうしても思ってしまうような人に向けて書いているので、この際それは脇に退けてしまう。「眼には見えない何か」とは如何なるものか、本当にそんなものがいるのか、という問題については、それを確信してしまう人間の経験についてまず議論する必要があり、ここではまた別の問題となってしまうので、また別の機会に。

     さて、単なる線を一本また一本と重ねていく内に、それが変質する瞬間がある。それはとどのつまり、語という我々の日常に属するものが、組み合わせかどの要因かは分からないが変質し、普段と違う振る舞いを始める、その瞬間とパラレルである。むしろ詩人は積極的にこの転覆を意図するだろうし、線描家が絶望的に線を重ねていくのも、彼にとってのこの希望を、視界の端に捉えながらであるかもしれない。

13/sept/2019

「酔いたまえ」

「酔いたまえ」

「常に酔っていなければならない。すべてはそこにある。それが唯一つの問題なのだ。君の肩をへし折り、地べたへと傾がせる、時間の恐るべき重荷を感じずにいるためには、休みなく酔っていなければならない。

しかしどんなものに?酒にか、詩か、徳にか、それは君の自由だ。ただ、酔いたまえ。

そして時折、宮殿のきざはしで、土手の緑の草の上で、君の部屋の陰鬱な孤独の中で、目覚め、酔いが衰え、消え失せてしまったならば、問いたまえ、風に、波に、星に、時計に、全ての逃れ行くものに、すべてのうめくものに、すべての流転するものに、すべての歌うものに、すべての語るものに、いま何時であるのかと。そうすれば風は、波は、星は、鳥は、時計は、君にこう答えるだろう。 《酩酊の時間だ!時間に責めさいなまれる奴隷になりたくなくば、酔いたまえ。酔いたまえ、絶え間なく!酒にか、詩か、徳にか、それは君の自由だ》。」

シャルル・ボードレール 『パリの憂愁』より

より軽やかに

     より軽く、従ってより不条理に、つまりより真実に。ただしその軽さは、「ここに何かいる」という確信によって、最も深く、従って最も重い海底に錨をおろしていなければならない。

038partie

生命を持った線

     口先で出来た説明の可能な、つまり容易に手の内に収まって、そのイデオロギーが中身なのであって造形はパッケージでしかないようなものよりも、説明のできない、圧倒的な他者、もしくは謎であるような、ノートの隅にふと現れた生きている落書きの方がより優れている。

セッションNo.004彼は何かしら…

「セッションNo.004 彼は何かしら…」

F20 2019

彼は何かしらとてつもないものを見たわけだが

それが何であったのか誰も知らない

「言わなくちゃ!」

いずれにせよこの飛べない鳥は

それを伝えるべく目の前を走り去っていく

2019/04/09

郷愁について

 ○郷愁について。人が未だかつて見たことのないものや、聞いたことのない音楽、昇るのを待つ月に、郷愁を抱くということがあるのだろうか。もしあるのだとすれば、それは記憶したことのない記憶によるものだ。見たことはないが、確実に知っているものを懐かしむ感情は、単なる錯乱以上の何かだ。

L’inconnu sur la terre

彼に名前はまだない。多分これからもそうだろう。多分、音楽と一緒に生まれたのだ。ある日、あらゆる語から自由な音楽と一緒に。謎めいた子、誰のものでもない子なのだ。

迷子ではない。孤児ではない。隠れていないか、ほんのちょっとだけ隠れているわけだが、逃げてきたのではない。ただここに居るのだ、今ちょうど、必要な時に、そして雲の形の島の上で、ぼんやりとしているのだ。驚く人の眼の前で。

みんなに見えるわけではない。でもそれは重要なことでは全くない。見たいと思う人には見えるのだ。そういう人達は焦り屋じゃない。通りを突っ切って走っていったりしないし、写真を撮る道具や、カメラ、テープレコーダー、そして望遠鏡なんてものを探しにいったりもしない。多分、一度だけ振り向いて言うだろう。

「見えましたか?」

「誰だろう?」

「“知らない男の子”だ。」

私は今すぐにでも彼の微笑みがどんなものか言いたいと思う。なぜなら“知らない男の子”は決して長くそこに留まらないから。彼はあっという間にいなくなってしまうし、誰がその帰りがいつになるかを知っているというのか。

それは数多くの語を、音楽を生む微笑みだ。

見た人は言う。

「私は自分の人生のすべてを、もう一度あの微笑みを見るために投げ出すだろうよ。」

これがこの手の人の行き過ぎるところだ。

時々、鼻先を空に向けて、通りに、海岸に、道に沿って佇む人を見かけるのはこのためだ。彼らはこう尋ねられるだろう。

「何を見ているんですか?」

彼らはちょっと困った風になって、肩をすくめる。

「いや何も…何にもですよ。ただまあ見ていたとすれば…飛行機です」

でもそんなことではない。ただ単に、みんなと同じように、彼らは、砂丘の形のあの雲に座る、“知らない男の子”を探しているんだ。

Il n’a pas encore de nom. Peut-être qu’il n’en aura jamais. Peut-être qu’il est né avec la musique, un jour, la musique libre des mots. C’est un enfant mystérieux, un enfant qui n’appartient à personne.

Il n’est pas perdu. Il n’est pas orphelin. Il ne s’est pas caché, ou si peu, il ne s’est pas enfui. Simplement il est ici, maintenant , quand on a besoin de lui, et il va à la dérive sur son île en forme de nuage, devant les yeux des gens étonnés.

Tout le monde ne le voit pas. Mais cela n’a pas d’importance. Ceux qui veulent le voir le voient. Ils ne sont pas inquiets. Ils ne courent pas à travers les rues, ils ne vont pas chercher des appareils de photo, des caméras, des magnétophones, des lunettes d’approche. Peut-être qu’ils se retournent une fois, et qu’ils disent :

« Vous avez vu? »

« Qui est-ce ? »

« C’est un enfant inconnu. »

Je voudrais dire tout de suite comment est son sourire, parce que ce petit garçon inconnu ne reste jamais très longtemps. Il va disparaître dans quelques secondes, et qui sait quand il reviendra ?

C’est un sourire qui fait naître beaucoup de mots, beaucoup de musique.

Les gens qui l’ont vu disent:

« Je donnerais toute ma vie pour revoir ce sourire. »

Ou quelque chose d’excessif de ce genre-là.

C’est pour cela qu’on voit quelquefois les gens le nez en l’air, dans la rue, au bord de la mer, ou le long de routes. On leur demande:

« Qu’est-ce que vous regardez ? »

Ils sont un peu troublés, et ils haussent les épaules :

« Oh rien, rien… Je regardais si je voyais… un avion. »

Mais ce n’est pas cela. Simplement, comme tout le monde, ils cherchent le petit garçon inconnu qui est assis  sur son nuage en forme de dune.

J. M. Le Clézio

« L’inconnu sur la terre »より雑然と引用。